私の心は爆発寸前 〜もうとっくにキャパは超えてます〜

私の境遇って普通なのかな?なりふりかまってられないので愚痴らせて下さい

父の浮気

チロちゃんのアホみたいなエピソードから、

自分の両親のことになり、

少しトーンが下がっちゃったのだが、

私は至って元気!!!!

ただ、親のせいで大人になっても苦しい思いをしたり、悲しい思いをすることも多いから、


同じ境遇の方がいないかなー。

共感してもらえないかなー。


私の境遇を聞いて、自分の方がましかも!!


なんて思って、

元気になってくれる人がいてくれたら私の今までの経験って無駄じゃないかもなー。


などと思って、ブログに書いてみることにした!


ちょっと溜まりにたまってきて、爆発しそうな気がするから、

そうなる前に毒抜きがてら。




私が小学校4.5年生くらいのときに、

母が泣きながら、

怒り狂いながら電話をしていたことがある。


「あんたの家庭を壊してやることだよ。」


子供ながらに、

聞いちゃいけない内容だろうな、、

と察して、

自分の部屋に閉じこもった。

どうやら自分の父親は浮気をしているらしい。

内容的にもそうだということがわかった。

とても父親が汚らしく思えて、

その後しばらく会話しなくなった。

からしたら、ただの反抗期だろう

と思ったり、

母親の態度を真似ているんだと思ったようで、


「お前が俺にそんな態度だからpaaakoまで真似するんだろうがよ!!」


と、母にぶちぎれていることもあった。


私は、父親のことを軽蔑したが、

そこまで悲しくはならなかった。


そもそも、

しょっちゅう夫婦喧嘩してるくせに、

父親の浮気で、

母親はぶちぎれて怒り狂うんだな、

と思った。


私はまだ子どもだったので、


さほど愛情がなかったとしても腹が立つ


なんてことまでは理解できなかった。



この時の話は、

私が高校生くらいになってから、

母に話された。


私が高校生くらいになると、

私もだんだん色んなことがわかるようになってきて、母の話をよく聞いてあげたり、

父と母の喧嘩の仲裁に入ったり、

ときには母と言い合いの喧嘩をすることも増えていった。

そんな私を、母は大人に近づいてきたと思い、父に対する不満を漏らすようになっていった。



母「paaakoももう大人になってきたし、もう話してもいいと思うから言うけど、

パパって本当にクソ男なんだよ。 小学校 2年生くらいの時に、キャンプ行ったの覚えてる?パパの会社の家族と。」


私「覚えてるよー。」


母「あの時の女と、パパ浮気してたんだよ。考えられる!?浮気相手の家族と旅行に行くとか頭おかしすぎるでしょ!!」


私「ぇぇぇえーーー!!なにそれ最悪だね、、むこうに小さい子いたじゃん、あの子のお父さんパパじゃないの!?」


母「それは違うみたいだけど隠し子いてもおかしくないかもね。浮気も今回の事が初めてじゃないし。」


私「えええー、、、クソ男だなとは思ってたけどそんなクソ男だったんだ、、なんで浮気してるってわかったの?」


母「キャンプの時、夜中にコソコソ二人で会ってたの見つけて、なんか怪しいなと思って色々調べたんだよ。」


私「なんでそんなバカなことしたんだろうね。馬鹿すぎて言葉にならないわ。」


母「お別れするためだったらしいよ。お互いの家庭見れば諦めもつくと思ったらしいよ。電話で問い詰めたときに言ってた。」


私「そんなことに家族巻き込まないでほしいわ、、


母からの衝撃の告白だった、、

浮気相手とキャンプに行ったとか、浮気が初めてじゃないとか、あまりにも衝撃的すぎて頭の中の整理がなかなかつかなかった。

それと同時に、

母が昔、怒り狂いながら電話してた相手が

このキャンプの浮気相手だったということもわかった。


そもそも、まだ16.17歳ぐらいの娘に話す内容ではないだろうよ、、



高校生の私は、

小さい頃から、

母のために役に立ちたい、母を助けたい

って思っていたから、

母が話してくれることは、

母に頼られてる気がして

とても嬉しかった。

ただ、父に対する不信感や、

憎悪は増していくばかりだった。




高校生なんて、

大人じゃないよ。

全然子どもだよ。

確かに、結婚できる年齢になるし、子どもだって産もうと思えば産めるけど。



大人だから、子どもだから、

じゃなくて、

親が、

娘相手に、話すべきこととそうじゃないことってあると思うけどな。


夫婦の関係が壊れようと、

それは二人の問題だけど、


母親や父親に、

親子の仲に亀裂を入れていいわけがない。


父親の悪口を言ったり、

母親の悪口を言ったり、あるかもしれない。


でも、親子の仲を、関係を壊させてしまうかもしれない話は、しないほうがいいと思う。

親子でも

親子だからこそ言っていいことと悪い事があるんじゃないかな。


と、結婚して、自分が親になって思った。


正直、自分が父親や、母親みたいな親になりそうでとても怖い。

それだけは死んでもなりたくない。


そうならないためにも、過去の記憶の記録を残したい。


母と私

母は、

私から見ると、

とても良いお母さんに思えているときもあった。

お料理もそこそこ上手だし、

裁縫はとても上手。

専業主婦として一生懸命家族のために頑張ってくれていると思っていた。


だけど父は、

事あるごとに

母を怒鳴りつけていた


シャッターが空いてないだの、

髪の毛が落ちてるだの、

冷やし中華の味がしないだの、、


今の私からすれば、

だからなに?

自分でなんとかしろよ


と思うが、


母は父に高圧的にされて、

自分はだめなんだ、

ちゃんとやらなきゃ、

と萎縮してしまっていたようだ。



もちろんそんな夫婦関係だったため、

子供にも影響がでる。


私は、しょっちゅう死にたいと思っていた。




父と母が喧嘩した翌日に、


なぜか母にめちゃめちゃ当たられたことがあった。

小学校3年生くらいの私はとても悲しかった。


母に泣きながら謝られて、

さらにとても悲しくなった。

私じゃなにもしてあげられない。

早く大きくなって、

ママのことを助けてあげたいと思っていた。


離婚話なんてしょっちゅう出てた。

喧嘩するたびに、

離婚だ、出て行け、もう出て行く、、


そんな言葉が飛び交っていた。


その度にわたしが、


出て行かないでー

置いてかないでー

ママと一緒に行く

離婚はしないで


などと泣き叫んでいた。


親の喧嘩ほど見たくないものはない。

本当に悲しくて悲しくてしょうがなかった。


母が私に勉強をやらせようとするとも、

父に怒られないようにするためだったけど、

母も必死すぎて、

私はそれもつらかった。


年長の時に、

私はひらがなが全然かけなかった。

何度教えてもできるようにならない私に

母はとてもイラついたようで、

別の部屋に閉じ込められた

「頑張って書けるようになるからだしてー!」

と泣き叫んだ。

今でもよく覚えている。


今では、

夫婦喧嘩を子供に見せることを、


心の虐待


と言うようだが、


たしかにそうだと思う。


心に負った傷は何年経っても消えない。


父と私

父は、割と幼少期から優秀だったようで、


頭が悪くてできない私

の気持ちが全くわからなかったようだ。


小さい頃、可愛がってくれた記憶もあるが、

やはり辛かった記憶のほうが残る。



私は、早生まれということもあって、

なにをしてもそつなくこなすことができない不器用な子だった。

幼稚園の年中のときは、

しょっちゅうおしっこをもらしていたし、

制服のシャツを脱ぐと、

うらっかえしでボタンをつけて着て帰ったり、、

逆に裏の方が難しかっただろうに、、

ずいぶん時間がかかっただろうと思う笑笑

小学生になっても、

なにをすればいいのかよくわからなくて、泣いてしまうことも多々あった。

勉強面では、

小学校2年生ぐらいからくじけていた。

早すぎるとおもうが、本当に理解できなかった。


そんな私を、見かねた父が、

夏休みに、

ドリルを大量に買ってきて、


「このドリル夏休み中に終わらせろ。終わるまでどこもでかけるな。」

と言われた。


英和辞典3冊重ねたぐらいの量だった。



遊びには本当にほとんどいかなかったが、

それでも全く終わらなかった。

終わるわけがない。

なぜなら、わからないから。解けないから。


夏休みが終わる二週間前ぐらいに、

ほとんど終わってないことに気づかれ、

その英和辞典3冊分のドリルで殴られた。

そこから地獄の日々。



おばあちゃんちに行けば、

二階で、

父と食事ができるまで勉強の時間だった。

わかりやすく教えてくれるのならいいのだが、

そうではなかった。


怒鳴り散らされながら、

できないことを罵倒され、

大声で怒り狂いながら説明された。

恐怖でなにを言ってるのか全くわからなかった。


「10秒以内に答えろ」

「なんでこんな問題もできねーんだ。」

「お前は本当にバカだな」

「終わるまで飯なんか食わせねーよ!」


小学校3年生ぐらいの女の子にかける言葉だろうか?

明らかに言葉の暴力だし、おどしだよ。


その上、

「間違えたらぶん殴るからな。」

といわれ、

当時流行っていた、えんぴつにマスコットがついている鉛筆で思いっきり殴られた。


痛かった。

悲しかった。

つらかった。

本当にしんどかった。


20年以上経った今でもこの時のことは本当に忘れられない。

冷静に考えて、

よく私は今、生きているな、

とさえも思う。


もし、過去に戻れるならこの時に戻って父を張り倒してやりたい



母は

「やめてあげなよ。」

と何度も言ってはくれたが、


父が

「お前がちゃんと見ないからこんなバカになったんだろーがよ!」

と罵倒するだけで、母の言うことなんか聞かなかった。


おばあちゃんも、

「やめなよ、そんな泣かせながらやったってなんにも頭になんか入りやしないよ!もうおしまいにしてご飯食べさせな!」


と言ってはくれたが、

私が嫌いなカボチャの煮物を夕食にだす、、。


そのせいで父は、

「このカボチャの煮物食べ終わらなかったら花火大会連れて行かないからな!」


と吐き捨てるように言う。


好き嫌いがある私がいけないが、


おばあちゃん、、

お願いだからカボチャの煮物、、出さないで、、と思った。


泣きながら、吐きそうになりながらなんとか食べて、

連れてってもらえたが、


もはやPTSDだ。


何年もカボチャが食べられなかった。

今でもカボチャの煮物は本当に食べられない。



父も父なりに、

私のことを思って、考えて、

ドリルを買ってきて、

なんとか人並みに追いつかせようと、

嫌いなカボチャも、

好き嫌いをなくさせようと、

親心からだったのかもしれないが、

やり方がつらすぎた。


子供の能力をのばすも殺すも、

親次第じゃないかと私は思った。

こんな親になんて、しんでもなりたくないと思った。


大人になって、

自分の親は毒親だったんだな

も初めて気づいた。


父と母

今まで、夫になったチロちゃんの、

ポンコツエピソードをメインにブログを書いてきたが、

それだけでは、

ブログのタイトルにある、「私の心は爆発寸前」

という言葉がピンとこないと思う。

この後、私的には、

少しずつヘビーになっていく、と思っている。



以前のブログにもかいたのだが、

私の父はとても独裁者なところがあり、

自分の言っていることは正しいと思っていて、

自分本位な父だった。

プライドも高いし、

世間一般の常識を重んじる。

仕事はできるけど、どこか他人を見下すようなところがある。


愛情を持って育ててくれたことは理解しているが、

やり方がとても下手だった。

大手の会社で部長として働けているぐらいなのに、

なぜ家族には思いやりを持って接することができなかったのか。



父の家庭は、

とても裕福ではなかったが、

中学、高校とエスカレーターの私立に通い、

大学も名の知れた大学に通っていた。

父の両親にとって、

自慢の息子だったようだ。


そんな父と、

私の母は、

バイト先で知り合い、

付き合うことになった。


私の母は、

幼い頃に両親を亡くし、

祖母に引き取られて育てられた。

私にとってのひいおばあちゃんだ。


付き合ってる時から二人は、

私の父の両親から交際を大反対されていたようだ。

それに反発するように、

既成事実を作ってやって、見事結婚できた。

そこで私が生まれた。


でも、そこそこおぼっちゃんに育てられた父と、

貧乏に育った母では合わないことも多かった。

私の記憶の中では、

私の両親の仲は、いつも険悪だった。


父は、なんとか自分の両親に、母を認めてもらいたくて

母を「教育」するようになった。


母自身はそれも、とてもつらかったようだ。

そして、父の束縛も激しかったらしい。

好きなお酒も飲ませてもらえない、

仕事にも出させてもらえない、

料理はまずいと責められる、

ちょっと帰りが父より遅くなると、

電気の付いていない家に帰ってこさせるなと怒鳴られる


今で言うモラハラ夫かもしれない。


私のことでもしょっちゅう喧嘩していた。


いつも喧嘩していて、

いつも母が泣いていたから、

幼かった私は、

父が母をいじめているのだと思っていた。


そんな険悪な夫婦だったが、

なぜか、私が生まれてから7年後に、

妹が生まれた。


それでも特に両親の関係が良くなっていくわけではなく、

険悪な夫婦関係の中で、

私たちは育てられた。


私は成長とともに、

仲裁に入ってみたり、

橋渡ししてみたり、

板挟みになりながらも、

離婚だけは避けてほしい、という思いをもって

険悪な父と母を見て耐えていた。


でも、私の心はかなり限界だったため、

自分の都合で、

母に

「離婚してもいいよ。」

と、ついに言ってしまった。

まだ小さい妹のことも考えられず、

私が板挟みになることから逃げたかったから、

「離婚していいよ。」

といってしまった。


そして、

両親は離婚した。

そして結婚

数々のポンコツエピソードを経て、


paaakoとチロちゃんは結婚した笑


明らかに私のタイプではないのだが笑


それでもチロちゃんには良いところもたくさんあって。


人のことをバカにしないところ


私はチロちゃんのことをバカにしまくっているけど、

チロちゃんは、

消費税の計算ができないバカな私のこともバカにしないで、

丁寧に教えてくれたり笑



相手に合わせて、自分の考えを変えることができる


ケンカすると男のくせにものすごく感情的になるし、理論的に責めてくるしで一番タチが悪いタイプだと思うが、

ちゃんと自分の悪いところを認めて、自分の考えを改めて、よりよくしていこうと前に進むことができる。


ちゃんと謝ることができる


これってとても大切なことだと思う。

プライド高いなーって思うことあるけど、

最終的にはちゃんと謝ってくれる。

私にはない良いところです、、。


ありがたいことに、

情緒不安定で神経質できにしーな私と結婚してくれると。


感謝です。


実はお付き合いをすることになった時に、


あ、私この人と結婚するな


と直感したんです。


本当にポンコツで、

バカにしたくなるし、

頭にくることもたくさんあるけど、

チロちゃんはそんな自分がもっとよりよくなろうと頑張ってる

頑張り屋だなとわかったから、

これからずっと、

ポンコツとも一緒に頑張れるかな、と思った。


私は、

チロちゃんに、

ポンコツなところを直して欲しい

と思う気持ちがとても強いけど、

こんなダメダメな私を、

だめなところもちゃんと好きでいてくれるチロちゃんなんだから、

私もチロちゃんのポンコツのところも許せるようになれるよう努力していきたい!!

まあ、、

ぎゃーぎゃー文句言って怒ることの方が多いだろうけど、、笑

チロちゃんのポンコツなところも気にならなくなるぐらい、

私の懐が大きくなるまで、

このブログにお付き合い願いたいです。


次からは実父とのわだかまりについて。


ポンコツサプライズ

とにかくチロちゃんと付き合っている中で、

なんでこの人はこんなにポンコツなんだろうと思うことが多々あった。


そんなチロちゃんだから、

イベントでもズレてるなーって思うことがたくさんあった。


私の誕生日に、


チロ「サプライズずくしの誕生日にするね!!」

と色々企画してくれたのだが、


上野で食事をして、有楽町に移動したら、

チロ「じゃーん!驚いた!?有楽町に移動がサプライズ!!」


ぇぇぇえーーーー!!!!

それ、サプライズか???

ただ移動しただけだよ!!!


なんでもサプライズって言えばいいってもんじゃ

ないんだよ!?笑笑


チロ「素敵なホテルを予約したから!!」


着いたところは、、、ビジネスホテル


どこが素敵なホテルなのー!!!


チロ「だって銀座五丁目のホテルだよ!?素敵なホテルでしょ!!これ以上良いホテルないよ!!」


まあビジネスホテルの中でも銀座なら確かに素敵な、、のか!?


うーーーーん、、、。


ビジネスホテルはビジネスホテルのよさがあるけど、

誕生日に、ビジネスホテルで、素敵なホテルって自信をもって言われたのはちょっと、、


私がサプライズされるのもするのも大好きだから、チロちゃんに対して期待してしまっているところもあったのかもしれない。

でも彼のサプライズの捉え方はやはりズレてる


手紙のプレゼントもくれたのだが、


チロ「はい!どうぞ!!

paaako飛び出るメッセージカード好きだもんね!これ実はすごいんだよー!」

(手紙を渡す)

私「ありがとー!!」

(開けてみる)

チロ「ちょっとかして!

paaako!お誕生日おめでとう!ずっと一緒にいようねー!!!」

(その場で録音メッセージをふきこむ)


なぜその場でふきこむのwwww

それじゃサプライズじゃないでしょwwww


一度受け取ったのに返すという行動も謎、、笑笑


せっかく録音できるすごいメッセージカードだったのに、

ちょっとサプライズのしかたミスってびっくりだきなかったよ、、笑笑


頑張ってくれてありがとう。

でももうサプライズは期待しないでおくよ!!w



ポンコツエピソード3

チロちゃんとウィンドウショッピングをしているとき


チロ「時計が欲しいんだよねー!」

私「いつも色々欲しいって言うけど結局何も買わないじゃーん。」

チロ「良いものを吟味してるんだよー!

これだーっていうのがあったら買うよー!あ!!」


チロちゃん何か気になるものを見つけた様子


近くにいた店員さん「何か気になるものがございましたらお開けしますのでおっしゃって下さいね!」


チロ「あのー、これってなんですか?」

(時計の横に飾ってあるお酒を指差す)


店員さん 私「えっ、、、」


店員さん「こちらは、、ただのディスプレイです、、」


チロ「そっか、なんかボトルがカッコいいなーって思って気になっちゃって。」


店員 苦笑い


ぇぇええええーーーー

時計がほしかったんじゃなかったの!?!?

まさかのディスプレイの質問かよ!!


恥 恥 恥、、、、、


店員さんもまさかディスプレイの質問されるとは思わなかっただろうに


ほんとズレてるというか、ポンコツというか、、

疑問に思うのはいいけど、、

普通、店員さんに、商品のことじゃなかったら聞かないよね笑

一緒にいると恥ずかいこと多い、、笑笑

お願いだから黙っててーーー(爆)