私の心は爆発寸前 〜もうとっくにキャパは超えてます〜

私の境遇って普通なのかな?なりふりかまってられないので愚痴らせて下さい

父と母

今まで、夫になったチロちゃんの、

ポンコツエピソードをメインにブログを書いてきたが、

それだけでは、

ブログのタイトルにある、「私の心は爆発寸前」

という言葉がピンとこないと思う。

この後、私的には、

少しずつヘビーになっていく、と思っている。



以前のブログにもかいたのだが、

私の父はとても独裁者なところがあり、

自分の言っていることは正しいと思っていて、

自分本位な父だった。

プライドも高いし、

世間一般の常識を重んじる。

仕事はできるけど、どこか他人を見下すようなところがある。


愛情を持って育ててくれたことは理解しているが、

やり方がとても下手だった。

大手の会社で部長として働けているぐらいなのに、

なぜ家族には思いやりを持って接することができなかったのか。



父の家庭は、

とても裕福ではなかったが、

中学、高校とエスカレーターの私立に通い、

大学も名の知れた大学に通っていた。

父の両親にとって、

自慢の息子だったようだ。


そんな父と、

私の母は、

バイト先で知り合い、

付き合うことになった。


私の母は、

幼い頃に両親を亡くし、

祖母に引き取られて育てられた。

私にとってのひいおばあちゃんだ。


付き合ってる時から二人は、

私の父の両親から交際を大反対されていたようだ。

それに反発するように、

既成事実を作ってやって、見事結婚できた。

そこで私が生まれた。


でも、そこそこおぼっちゃんに育てられた父と、

貧乏に育った母では合わないことも多かった。

私の記憶の中では、

私の両親の仲は、いつも険悪だった。


父は、なんとか自分の両親に、母を認めてもらいたくて

母を「教育」するようになった。


母自身はそれも、とてもつらかったようだ。

そして、父の束縛も激しかったらしい。

好きなお酒も飲ませてもらえない、

仕事にも出させてもらえない、

料理はまずいと責められる、

ちょっと帰りが父より遅くなると、

電気の付いていない家に帰ってこさせるなと怒鳴られる


今で言うモラハラ夫かもしれない。


私のことでもしょっちゅう喧嘩していた。


いつも喧嘩していて、

いつも母が泣いていたから、

幼かった私は、

父が母をいじめているのだと思っていた。


そんな険悪な夫婦だったが、

なぜか、私が生まれてから7年後に、

妹が生まれた。


それでも特に両親の関係が良くなっていくわけではなく、

険悪な夫婦関係の中で、

私たちは育てられた。


私は成長とともに、

仲裁に入ってみたり、

橋渡ししてみたり、

板挟みになりながらも、

離婚だけは避けてほしい、という思いをもって

険悪な父と母を見て耐えていた。


でも、私の心はかなり限界だったため、

自分の都合で、

母に

「離婚してもいいよ。」

と、ついに言ってしまった。

まだ小さい妹のことも考えられず、

私が板挟みになることから逃げたかったから、

「離婚していいよ。」

といってしまった。


そして、

両親は離婚した。