私の心は爆発寸前 〜もうとっくにキャパは超えてます〜

私の境遇って普通なのかな?なりふりかまってられないので愚痴らせて下さい

父と私

父は、割と幼少期から優秀だったようで、


頭が悪くてできない私

の気持ちが全くわからなかったようだ。


小さい頃、可愛がってくれた記憶もあるが、

やはり辛かった記憶のほうが残る。



私は、早生まれということもあって、

なにをしてもそつなくこなすことができない不器用な子だった。

幼稚園の年中のときは、

しょっちゅうおしっこをもらしていたし、

制服のシャツを脱ぐと、

うらっかえしでボタンをつけて着て帰ったり、、

逆に裏の方が難しかっただろうに、、

ずいぶん時間がかかっただろうと思う笑笑

小学生になっても、

なにをすればいいのかよくわからなくて、泣いてしまうことも多々あった。

勉強面では、

小学校2年生ぐらいからくじけていた。

早すぎるとおもうが、本当に理解できなかった。


そんな私を、見かねた父が、

夏休みに、

ドリルを大量に買ってきて、


「このドリル夏休み中に終わらせろ。終わるまでどこもでかけるな。」

と言われた。


英和辞典3冊重ねたぐらいの量だった。



遊びには本当にほとんどいかなかったが、

それでも全く終わらなかった。

終わるわけがない。

なぜなら、わからないから。解けないから。


夏休みが終わる二週間前ぐらいに、

ほとんど終わってないことに気づかれ、

その英和辞典3冊分のドリルで殴られた。

そこから地獄の日々。



おばあちゃんちに行けば、

二階で、

父と食事ができるまで勉強の時間だった。

わかりやすく教えてくれるのならいいのだが、

そうではなかった。


怒鳴り散らされながら、

できないことを罵倒され、

大声で怒り狂いながら説明された。

恐怖でなにを言ってるのか全くわからなかった。


「10秒以内に答えろ」

「なんでこんな問題もできねーんだ。」

「お前は本当にバカだな」

「終わるまで飯なんか食わせねーよ!」


小学校3年生ぐらいの女の子にかける言葉だろうか?

明らかに言葉の暴力だし、おどしだよ。


その上、

「間違えたらぶん殴るからな。」

といわれ、

当時流行っていた、えんぴつにマスコットがついている鉛筆で思いっきり殴られた。


痛かった。

悲しかった。

つらかった。

本当にしんどかった。


20年以上経った今でもこの時のことは本当に忘れられない。

冷静に考えて、

よく私は今、生きているな、

とさえも思う。


もし、過去に戻れるならこの時に戻って父を張り倒してやりたい



母は

「やめてあげなよ。」

と何度も言ってはくれたが、


父が

「お前がちゃんと見ないからこんなバカになったんだろーがよ!」

と罵倒するだけで、母の言うことなんか聞かなかった。


おばあちゃんも、

「やめなよ、そんな泣かせながらやったってなんにも頭になんか入りやしないよ!もうおしまいにしてご飯食べさせな!」


と言ってはくれたが、

私が嫌いなカボチャの煮物を夕食にだす、、。


そのせいで父は、

「このカボチャの煮物食べ終わらなかったら花火大会連れて行かないからな!」


と吐き捨てるように言う。


好き嫌いがある私がいけないが、


おばあちゃん、、

お願いだからカボチャの煮物、、出さないで、、と思った。


泣きながら、吐きそうになりながらなんとか食べて、

連れてってもらえたが、


もはやPTSDだ。


何年もカボチャが食べられなかった。

今でもカボチャの煮物は本当に食べられない。



父も父なりに、

私のことを思って、考えて、

ドリルを買ってきて、

なんとか人並みに追いつかせようと、

嫌いなカボチャも、

好き嫌いをなくさせようと、

親心からだったのかもしれないが、

やり方がつらすぎた。


子供の能力をのばすも殺すも、

親次第じゃないかと私は思った。

こんな親になんて、しんでもなりたくないと思った。


大人になって、

自分の親は毒親だったんだな

も初めて気づいた。