ついに離婚
家出騒動終了
母とのいざこざ
親が不仲であり、
常にピリピリ
イライラした家庭環境で育った私は、
子どもの頃からどこか満たされない部分があった。
母とは、
打倒父
のような絆があるように見えていたが、
実際はそうではなかった。
割と自分は、
いつ死んでもいいと思っていたし、
自分が出来の悪い子だから、
父と母は喧嘩するのかな、
私のことなんて愛してないんだろうな
どうでもいいんだろうな
なんて考えていた。
なので、
中学の時の高校受験のストレスの時には、
窓から飛び降りようとしたこともあるし、
リストカットまではいかないが、
皮膚を少し傷つけて、
血で壁に
みんなしねばいいのに
と書いたこともあった。
そんなSOSを発していたが、
父と母は関係がよくなることはなかった。
私に対する接し方は改善してくれたが、
結局、両親が仲良くて、子供に目をむけて、
愛情を注がないと、
愛されているという満たされた心にはならないんじゃないか。
その他には、
母にちょっと文句を言われた時に、
なにかがぷつんときれて、
発狂して部屋にこもったこともあった。
母になにを言われても答えず、
隙を見て、家から脱走して、
理由はなにも説明せずに、
泣きながらおばあちゃんちの二階にこもった。
その後しばらく、おばあちゃんちの二階から、
高校に通った。
1ヶ月近くその生活をして、
父は私とむきあって、
自分や母の親としての姿について恥じて、
色々と声をかけてきたが、
なにを言われても、
あんな最悪な環境に戻るか
と思っていた。
この事件により、
父とコミュニケーションを取る時間が増えた。
父は母が作ったお弁当を、
私に届けたが、
私は一ヶ月間、一度も食べなかった。
毎日仕事終わりに様子を見にきた父に、
お弁当箱を渡す。
父は初めは
お弁当はちゃんと食べなよ
と言ったが、
私は絶対に食べなかった。
あの食べなかったお弁当は、
父が食べて渡していたんじゃないかと、思うが、
本当のところはわからない。
なにが正解かはわからないが、
ちゃんと、私と向き合って欲しかった。
どうしてほしいのか、
どうするべきなのか、
ちゃんと私の心の声を聞いて欲しかった。
でも、後日聞いて驚いたのだが、
父の姉、私にとってのおばは、
私たち家族のことを心配して、
私の父と、母に
家族として成り立っているのか?
と聞いてくれたらしい。
すると、二人とも
成り立っている
と答えたそう。
つくづくお気楽な人たちだと失笑してしまう。
二人の解釈は、
今まで母と結託してしまっていたため、
父のことをないがしろにしていたが、
母ともめたことにより、
父とコミュニケーションを取れるようになったから、
成り立っている
という解釈だったようだ。
そもそも娘が家に帰りたがらない時点で
家族としては成り立っていないだろうよ。
私が家出をしはじめて、そのまま、
高校生活最後の体育祭の日に突入した。
母の病気
妹
心の変化
私は、
幼少期からずっと両親の不仲がつらくて、しんどくて、
母が泣いているのをみたくなかったし、
助けてあげたいなと思っていた。
高校生くらいになって、
母が父のいろんな愚痴を私に言ってくれるようになって、
最初は嬉しかったが、
だんだん、
またか、、、
と思うようになっていった。
母
「paaakoや妹が大きくなっていって、父親の浮気を知ったときに、子どもたちがどんな気持ちになるかわかんないの?ってパパに言ったら、あいつなんて言ったと思う?そうやって大人になっていくんだよって言い捨てたんだよ!」
私「クソすぎるな。自分の過ち正当化して開きなおるなし。」
私が高校生になって、
母は、
父と喧嘩すると、
そのたびにさまざまな話を暴露してくれた。
母と父は、父の両親からお付き合いから反対されていて、
電話してたら電話越しに
何時間電話してるのよ
と言われたり、
家に遊びに行ったら、
挨拶もせずにリビングのドアをバタンっとしめられた、とか、
反対を押し切ってできちゃった結婚したとき、
父の父は、
「俺は孫の顔なんかみたくもない!」
と言われた、とか、
知らない住所の光熱費の請求が父宛にきて、
浮気相手の身の回りの世話をしているんじゃないか疑惑や、
上司の親御さんが亡くなったからお葬式に行ってくると言い、遠方だからと泊まりで行ったが、
帰ってきたその喪服の中に、
プール付き宿泊施設の領収書が入っていたなど、
クソエピソードがたくさん暴露されていった。
私はどんどん父を軽蔑していったが、
母にも原因はあるんだろうな、
と思うようにもなっていった。
父にも母にもイライラするようになり、
喧嘩するたびに仲裁に入るのも、
うんざりするようになっていった。
もういい加減、
離婚すればいいじゃないか。
全然口も聞かなくなっているし、
なにか用があれば、私に
「パパに伝えてきて。」
「ママに伝えてこい。」
と私を間に挟むようになった。
父も父で、
私に母の悪口を言ってきたり、
母に対する不満を
私を介して伝えようとすることもあった。
私は父と母の板挟みになり、
限界を感じていた。
不仲でも一緒にいてほしい
そう思ってた気持ちは
一切なくなり、
早く離婚してくれ
と思うようになっていた。
私の心
両親がしょっちゅう喧嘩をしていて、
離婚だの、
浮気だの、
言ってる中で育った私は、
一見普通に育ったと思う。
特に外では、
至って普通に見えたと思う。
学校でも問題は起こさず、いたって真面目に過ごしていた。
グレることもなく、
普通に過ごした。
でもどこか、
心に穴が空いているような感じだった。
だから家では、
時に情緒不安定になることもあった。
感情を初めて剥き出しにしたのは、小学校5年生の頃。
父親や母親の喧嘩が、
自分だということで、
両親がいつも喧嘩をしているのは自分のせいなんだ、
と思い、
私がいなくなれば
解決するのかと、
本気で思い、
「もういやだ!!」
と泣きながら自分の部屋にいき、
大きなリュックにわけのわからないものをたくさんつめて、
「出て行って死ぬ!!樹海の森に行ってやる!!」
と言ったことを今でもよく覚えている。
そのあと、
父親に、
「そんなことさせないよ。」
と強く抱きしめられ、
安心した気持ちや、悲しい気持ち、苦しい気持ち、怖かった気持ちなどいっきに出て、
泣き喚いた。
母は「ごめんね。こんな親でごめんね。」
と泣いていた。
私も辛かったが、
子どもに死ぬなんて言わせて、
両親も心が痛んでくれてたんだろうと思う。
なんでこんなふうになっちゃったんだろう。
どうしたら離婚しないですんだんだろう。
大人になった今でも、
ふと思ってしまう。
両親が離婚すれば、苦しみから解放されるんだと、
思ってたけど、
実際は私はちがかった。